story 49

2021.06.21

 

to neutral

 

表参道の通りを越えた反対側に30坪の店舗目をオープンさせます。

この頃は現副社長の河野もデビューして、ちょうど売上げもすごい勢いで伸びていた時。

彼を店長に抜擢して、メンバーも敢えて自分たちを除いた若手メンバー中心。 

そんな現場のスタイリストが中心なって、人事や店舗名なんかを決めることもこの時代では考えられなかったことで、、、

本来であれば全てトップダウン(笑)。

人事やコンセプトもトップが決めて、箱に人を配置するのが当たり前でした。

 

そんなことも全て結果的には上手く行き、二店舗になっても売り上げは順調に伸びて行きました。

「お客様視点の空間や環境作り」

「生産効率を上げるためのチーム制やレセプションのポジションと役割」

「スタッフ成長を軸としたビジョンや出店計画」

「風土作りのためのイベントや教育」

今であれば当たり前なことも、この頃はあまりそれらを発信する人も少なく。

この時期はそんなことを業界紙で紹介してもらったり、「経営セミナー」なんかも沢山経験させて頂き、一端の優秀な経営者のごとく扱われていました(笑)

 

ただし当時はまだ僕は経営者ではなくて、子会社のあくまで責任者のような立場。

自由に経費が使えるわけでもなくすべては自腹(笑)

それでもお店をよくするための装飾品を買うとか、スタッフにごちそうするなんてことは当たり前だと思っていて。

一度40人くらいのスタッフ全員を、ホテルの鉄板焼きにご褒美と勉強を兼ねてつれて行った時に~0万という金額を自腹で払いましたが、、(笑)

不思議と全く違和感がないどころか、「そんなの当然!」だし、「それくらいできてる自分がかっこいい」くらいに思っていました(笑)

そんなことが未だに「後輩のご飯は先輩が奢るもの」みたいにGARDENの風土として残っているんですが、、

アシスタント同士だったら同じような給料なんだから、そんなことはしなくていいのに。。。。と今は思っています(笑)

 

ちょっと話は脱線しましたが、、、

この頃地方などに行って、沢山の経営者の方たちと知り合います。

僕はそれまで「経営者になりたい!」と思ったこともなく、だから経営の勉強もしたこともありません。

お店の環境作りやスタッフの未来を見据えた教育や出店計画は、「現場の長の責任」というレベルで考え実行していたことです。

 

ただそんな僕よりも、無責任な経営者があまりに多くて驚いたのを、今でも覚えています。

「会社を興す」

「借金をする」

これが経営者と従業員の違いみたいに言う方が、今も当時もほとんどですが、、

僕はあらゆることに「自分事」という責任を持ち。。

関わる後輩は全て自分の後輩だと思えることが、経営者のスタートラインだと今でも思っています。

多くの経営者の方々と知り合う中で、正直温度の低い経営者が当時の業界にはあまりに多くてびっくりしたと同時に

「だからこの業界はいつまで経っても変わらないんだろうなぁ」

みたいに思ったりもしていました。

 

34歳でNEUTRALオープンしてこの頃で36、7歳

様々に経験させてもらい、それを一緒に実践しながら成長できる仲間がいたこと。

そんな時代の流れに偶然乗れていたこと。

色々な巡り合わせが重なったおかげで、大きな成長をさせて貰ったんでしょう、、、、

そんな中での結果や、僕や森内の成長速度と、上の3人とに微妙なずれが生じて行きます。。。

 

定期的に常にミーティングをしていたけど、やはり違うブランドで違うやり方。

 以前の様に毎日何時間も同じサロンで顔を合わせるわけではないからなんとなく距離もできてしまう。。。。

そんな距離をなくしたくてゴルフをはじめたのがこの頃です(笑)。

 (この件は以前にも触れましたので、、、)

 そんな状にあったから、僕もにわかに経営が分かったかのように調子に乗っていたのかもしれません。

今考えれば、経営という長いレースの中では、右肩上がりの時だけでなく、それは経営者自身の心持ちや感情にも波はあるし、常に下から求められる「理想」ばかりを追いかけていられない現実があるし。。

 

でも当時の僕はそんなことは理解できず、ただただみんなが目指し付いてきた

「旗を振り続けて欲しい!」(それ自体が今考えれば独りよがりだったのかもしれませんが、、)

それだけを思っていました。

そして様々に話し合いはなされて行きましたが、最終的には平行線なまま前向きな話は全て無くなって行きました。