story 52

2021.06.29

 

さてまた30代後半の僕に戻ります(笑)

既にスタッフは50を越えて売上も7030僅か100ながらも4500万くらいを売上げていました。

ブームを経験し、またNEUTRALでもその経験を生かして、、

僅か5、6年でそこまで辿り着いた自分たちにとって、、

その頃には『日本一』っていうキーワードだけではもの足りなくなっていました。

 

そんな状況にありながら、裏側では益々距離が離れてしまい修復のきかないところまでになってしまいます。。。。

僕自身その時でも「自分がお店を出し経営者になる」なんて考えは全くなく

現実的な選択肢とすれば、森内、加藤、それぞれで実家に戻りお店でも出そうか?なんて話していました、、、

 

その頃新宿のパークハイアットにあるNYグリル』によく行っていました。

昔から話題のお店に行っては、「何がいいんだろう、、?」とかをよく観察して、、

内装やサービスや雰囲気などを参考にインスピレーションしていました

 

NYグリルのオープンは、それよりかなり前のバブル時代に遡りますが、その時でも賑わいは変わらず。

パークハイアットという日本屈指ホテルの最上階のメインレストランでありながら格式的ではなくてカジュアルでフレンドリーだけどそれでいて大人なファッショナブルな雰囲気。

年配から若い人まで年齢層は幅広いけど、それぞれに雰囲気のあるオシャレな方たち。

高層階の天高の大きな窓から広がる360度のパノラマの東京の夜景は、それだけでも初めて行く人にとってはワクワク感でいっぱいなると思います。

 

数年前にはじめてNYを訪れたことがあります。

様々なサロンを見学しましたが、まだカリスマブームの勢いの中にいた僕は、正直魅力を感じるお店がありませんでした。

そんな中で唯一当時YAYAさんが提携して日本でも展開しようとしていた「バンブルバンブル」けはその時の僕にとってはとても鮮明でした。

たぶん150坪くらい?のサロンのど真ん中にカラーブースがあり。

もう22、3年前だから、KAKIMOTOさんが日本で初めて「カラーリスト」という考えを始めた頃?!

既にカラーリストとカッターが分業していて、他のお店と比べても圧倒的に流行っていました。

 

NYも日本と同様、有名サロンといえばトップの先生の名前を付けるのがまだ当たり前だった時代、、、

何よりもその後、当時はやはり断トツの人気を誇っていたバーニーズ(日本のバーニーズが閉店になったのも時代の流れを感じます、、)に行った時、メインホールにバンブルのシャンプーが山積みにレイアウトされていました。

 

それを見たときに「これからはヘアサロンもブランドの時代だ」と自分の中で大きな指針が見えました。

もちろんそれを当時のACQUAに当てはめて、さらに大きなビジョンを自分なりに描いていました。

 

目指すなら『アジア』そして『世界』

そのためのには、NYグリルの様な幅広い年齢層が楽しめる大箱。

 ニュートラルのメンバーとはそんな夢も以前から話していました。

 

何も前進できずに将来に対することをスタッフに伝えられない中で、その時の僕は、やはりその夢のために前進していくしかないと決意して、森内と加藤、そして今の幹部であるメンバーたちにそのことを話して行きました。