story 58

2021.06.29

 

当時で森内が30歳ちょうどくらい

 彼の実力であれば足踏みしていたくないというのも当然で。

 僕自身もやはりその停滞感は早く突き破って、前に進めて行きたいという気持ちもありました。

 

そこで生まれたが新ブランド「ニュートラル」の構想です。

そして計画からオープンまでは一年以上掛かってしまいましたが、2001年にニュートラルはオープンを迎えます。

最初その人事を決める時にまずは森内の右腕となる店長をと言った時に、森内が口にしたのが「カトちゃん」(笑)でした。

 

その頃の加藤は、スタイリストとしては申し分ない実力でしたが、どちらかというと「アンチ上」的な感じで、役職とかマネジメントには全く興味も示さない様なタイプ。

 森内ともそんなに仲が良かったわけではないのですが、、なぜか加藤を選びそれが現在まで続く3人の縁となります。

 加藤の話すと「やってみたい」ということだったので、あとは二人で色々決めてもらいスタートしました。

 

年齢的には加藤が一番上で森内が一番下。

でもなんとなくは僕が上で加藤が一番下。

みたいな感じでしたが、そんなことは関係なく、とにかく成長するために毎日の様にぶつかり合っていました

でも営業中でも馬鹿みたいにふざけあったり、笑いの絶えない毎日でもありました。

 

この頃も森内は外の仕事とサロンワークを寝ずに頑張っていました。

 またそうやって取って来た自分の仕事を、当たり前の様に後輩に回して行きました。

 自分が取って来た仕事をまわして行くというのは、お客様をまわして行くのと同様で、その頃の時代では中々できる事ではありませんでした。

 

 ただ彼はその頃から「自分だけでなく後輩を育てなきゃダメだ!」

そう言って、ドンドン仕事を後輩にまわしていきます。

 今の幹部たちは、その頃は眠れず泣きながら撮影をやっていたと思いますが()

それがあったからこそ、本人もGARDENここまで成長できたんだと思っています。

 

そうしてスタイリストも増えてニュートラルは成長して行きますが、、、

ご存知の通り距離感ができて、修復のできないところまで行ってしまいます。

人で地元帰ってバラバラにやるか、、」

 そんな話もしていましたが。

やはりついて来てくれた後輩達に嘘はつきたく無いと人とも思っていました。

 「じゃあ人でやろう!」

 「ついて来たいスタッフは全部受け入れて!」

 そんな感じになって行きました。

 

ニュートラルを立ち上げてからは、距離が近い分ぶつかることも多かったですが、それでも必ず彼は僕を立ててくれていました。

 「どうせ決めてるんでしょ!?」

この時も様々にありましたが、あれだけのリスクを背負ってスタートすることも、最後は全て受け入れてくれました。

 

その後についてはまた後ほど様々に登場してもらい触れて行きますが

ニュートラルの時代から彼がスタッフの成長を牽引して、一緒になってやって来たからこそGARDENは生まれました。

 

そうやって森内だけでなく、沢山の人達の思いが詰まって生まれたのがGARDENです。

本当に僕は、沢山の縁とフォローとタイミングとラッキー?が重なってここまで来れたわけですが、だからこそ一人で創業した経営者とは違う価値観を持ち続けています。

 GARDENMy companyではなく

「Our companyであると言う事。