story 99

2022.08.18

 

甲子園が熱戦中です。

 

彼らが見ているのは、目の前の白球の行方。

この一球でアウトを取ること。

この一球で何としてでも塁に出ること。

そのために朝から晩まで、自分の青春の時間全てを賭けてそれだけに費やしています。

どんな世界でも「秀でる」とはそんなギリギリのところに己を置いた人が見える世界。

そんな人たちを僕は「表現者」だと思っています。

 

以前から僕のやっていることは、「甲子園を目指すチーム作りの様なもの」で、経営者には向いていない(笑)とも言って来ました。

「経営」の定義は色々あるんでしょうけど、、

「高校球児はなぜ甲子園を目指すのか?」

大人がわかった様な説明をいくらしたところで、彼らの本音はきっと「仲間と一緒に!」とか「夢」とか抽象的な答えで、もっと言えば「理由なんてない」「心の衝動」って言うのが一番の正解なんじゃないかと思っています(笑)。

打算的な目標を持つより、シンプルに「楽しい」とか、本能のままに大きなエネルギーをぶつける対象があるという事が若さの象徴で、美容師という手段を見つけた若き日の僕も、それだけで全てを捨てて「夢中」になれました。

そんな単純な理由でこの世界に足を踏み入れた人が殆どではないでしょうか?

 

「美容師としてより上を目指して行くこと」

若いうちはそれに一心不乱でいいし、もちろん人生を掛けた仕事をしてるわけだから、その時々でその成果が「お客様の笑顔」「スタッフからの信頼」「報酬」なんでもいいと思います。

様々なビジネスモデルが生まれて行くこの業界でも、我々の様な「教育サロン」と言われるモデルであれば、僕の様なチーム育成を目的とした「監督業」の様なやり方も一つの正解だと思っています。

 

経営者としての勉強は必要だけど、、、

目の前の白球の行方を追いかけ来た「表現者」が、いきなりスーツを来て涼しいところから野球をビジネスとして語ったところで何も伝わらない。

現場でいつまでもプレイヤーでいることが間違っているわけではなくて、プレイヤーとしての「追求」を失ってしまった時から「表現者」でなくなってしまったことに気付かないこと。

 

20代にしていたことを50代でも継続できる人は稀です。

プレイヤーとして「表現者」でいることは殆どの人には難しく、かと言って没頭して来た人ほど新たな表現できることを見つけるのも同じく難しいことです。

(オールドルーキーという綾野剛主演のドラマのようですね!)(笑)。

 

頑張って結果を出した人が離れて行くのは、お互いにとって「岐路」に来たから。

「監督業」という視点に立つと、様々な問題も、育成して新陳代謝を繰り返すという当たり前なルーティンと考えられます。

優秀なスタッフを育てたいと思ったなら必ず起こる必然的なことを、いかに飲み込んで更なる成長を実現するか?が、僕たちの宿命だと思っています。

それでも裏側にあるお金などのシビアな問題が、時には全てをひっくり返してしまう事もあります。

 

「監督」と「経営」をどう切り分けるか?

プレイヤーとしての「表現者」でなくなった時に何の「表現者」になるのか?

そして「表現者」でありたいと思える「風土」と具体的な「キャリアプラン」があるのか?

一生懸命に取り組んでいる人の姿は、「美しく」「輝き」「人に感動を与える」ものです。

それがGARDENの経営理念である以上、僕自身も「表現者」として輝き続けていたいと思っています。